落ちても

いよいよですね。 高校受験。

どうだい? 緊張してるかい?  良く眠れているかい?

よくここまでみんながんばってきたな。  

『 ここまでがんばれたのも仙台FCの厳しい練習を乗り越えたからです!! 』

って フクオカひろからメールをもらったなぁ・・・。  うれしいね、その言葉。

まぁ やるだけやったじゃねぇか!  後はリラックスしてできるだけのこと書いて来い!

わかんないところも空欄にしないでハッタリでいいからすべて埋めて来い!

全力尽くした結果なら、どっちに転がろうがスッキリするだろう!

後は運もあるから、こんな時だけでもいいから神仏に祈りなさいな・・・。

おまえらに限って、絶対ないとは思うのだが・・・  落ちても死ぬなよ・・・。  いやいや、マジで! 

このブログは父兄や学校の先生やいろんな人が見てるから、あまり大胆に書けないけど・・・。

まして、その高校に合格することを目標にがんばってきたおまえらに言うのもなんだけど・・・。

・・・・  高校なんて・・・   どこでもいいんだよ・・・。 グリーンだよ・・・。 スンマセン・・・。

っていうのはさぁ、 街や道歩いててあの人は進学校出身! とかわかる?

眼鏡してていかにも真面目そうだなぁって 経歴聞いてみると大した事なかったりさ・・・。

高学歴だなって期待して入社させたら  メチャクチャ使えない人材だったりとか・・・。

よくある話なわけですよっ!!!!!  ホント!!!

じゃぁ 勉強しなくていいっ!!  ってことではないのよ。

方法なわけだよ。 手段なわけなんですよ。 学問っていうのは。

そう、例えば現在あなた達が勉強している理科、科学、生物、なんて私おぼえておりません。

しかし、なんとなくではありますが! 確実に生きております!!

そう、例えば現在あなた達が勉強している数学でいうⅩやらYやらZなど、まったく使いません。

しかし、なんとなくではありますが! 友達もおります!!

まぁ 私の母校も決して頭の良い高校ではありませんでしたが、 私は生きていけるわけですよ。

えっと・・・、 学問が方法と手段・・・。

私があなた達と接していられるのは、サッカーという手段・方法があるからです。

サッカーがなければあなた達に出会うこともなく、むしろ街で会うならば私にとってあなた達は

理解のできないクソ餓鬼であって、君らにとって私はウザイ糞親父でしょうな・・・。

サッカーという手段と方法があるから、私とあなた達は接点があるわけなのよ。

そしてサッカーに対する互いの考え方の相違に学ぶわけよ。 

学校や学問もいっしょ。 

接点や考え方や相違や同意や主義や主張や個性も、比較対象があるから自分が見えてくるんだよ。

比較対象が先生だったり、友達だったり、異性だったり。

自分とは違う全ての考え方や取り組み方や表現の仕方を比較させるための手段と方法なのよ、学問は。

だから、正解はときに正解ですが、不正解もときに正解なことでもあるわけなんですよ。

不正解が、理解と考え方と発想においては、新しい解釈になりうることも。

だっていつの時代も進歩は型に囚われない自由な発想と、定説の否定から生まれるんだよ。

点数取れなくてもいいんだよ。 真剣に考えるだけで。 

学問は接点、手段・方法、または入口や免疫や抗体なんだよ、

今はまだ君達には形として見えない、社会や世の中や地球や宇宙への接点なんだよ・・・。

まぁ それでも、良い高校、良い大学、優良企業の高収入!!!  ってなわけにはいかないので、

多少の嫉妬や不自由も、時に感じる事もありますがね・・・。

んでも  幸せよ。  おれなりにね。  

背負った過去や傷跡や贖罪やら、荷物は引きずるほど重い時もあるけどね。

考え方を変えればいいだけなのかなって。 だからって肯定はしないよ。 

克服することなんだよね。 生き恥を晒すことであっても、何とか生きながらえて、克服する。

まだ、難しいかな、理解には。   いつか大人になって生傷が耐えなくなったら読み返してみてね。

いつかのブログ 『 日々を告白すること 』 だったかな。 

尾崎 豊がそう言ったなら、 私はこう言おう!

『 生きていくことは  日々を克服していくこと・・・ 』
      
ははは、パクっただけだな・・・。

比較する対象に自分自身も当然エントリーされております。 この世に生まれた限り。

しかし、高校受験の合否があなた達の生死の合否ではありません。

むかし付き合っていた女の子が高校受験に失敗した時、遺書を書きました。

しかし現在は結婚して子供もおり、幸せに暮らしております。

落ちたらさ、 いっしょに泣いてやっからさ・・・。

その後、 いっしょに笑ってやっから・・・。

受験に最もタブーとされている用語の乱用に深くお詫び申し上げます。

でもさ、悲壮感はだめだろ。 面接も葬式みたくなっちゃうよ。

自信持って行くんだよ!!!

別に落ちても僕の人生は明るい希望に満ち溢れています・・・ってな感じの余裕の自信で行っといで。

大丈夫だよ。 きっと 大丈夫だから・・・。

Published on 2010.03.04 at 14:47 by Sendai FC Staff

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